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碧の約束1 夢を見た。 10歳の頃の夢。 綺麗な男の子と手をつないでいる。 夢の中では、少年も自分も、あの頃のままで。 手をつないで歩いている。 何もないところで、つまづいた自分を、少年は腕に力を込めて支えてくれた。 少年を見上げた自分の目に映るのは、彼の眩しい笑顔。 ハク・・・・・・。 千尋を現実の世界に引き戻したのは、前の晩セットした目覚し時計ではなく、母親の声だった。 「千尋!千尋っ!起きなさいっ!」 「ん〜」 うっすらと目を開けたものの、千尋は、くるりと丸くなって、母親が立っているのとは反対側を向く。 もちろん、母親はそんなことでは諦めず、続ける。 「今日から合宿でしょう?早く起こしてって言ったのは、あなたじゃないの。ほら、起きなさい」 そう言うと、千尋が抱えていた、お気に入りのタオルケットを奪った。 急に寝心地が悪くなって、千尋は仕方なく起き上がる。 今日から、2泊3日の日程で、学年全体の合宿がある。 千尋は今、中学二年生だ。 集団行動を通じ、協調性と規律を学ぶというのが目的らしいが、千尋はそう言ったものが苦手だった。 目覚し時計を見ると、朝の5時を過ぎたところ。 どうやら、寝ぼけたまま止めてしまったようで、目覚ましは、定位置ではなく、枕の隣に転がっていた。 「集合時間、早いんでしょ?いいかげん起きてちょうだい」 千尋は、ベッドの上に座ったまま、ガックリとうなだれた。 「あ〜あ」 いつもより早い朝食を食べながら、千尋の口からはため息ばかりもれる。 「なぁに?朝からため息ばかりついて」 母親が、眉根を寄せて、言った。 千尋は、負けじとばかりに、唇を尖らせる。 「だぁ〜って。合宿なんか、行きたくないんだもん」 「まだ、そんなこと言ってるの?・・・ほら、お箸止まってるわよ」 何度も聞き飽きたセリフに、母親の方は、マトモに取り合おうとしない。 文句を言ったところで、行かなければならない事実は変わらないのだから、2、3日くらい我慢しろ、と昨日も言われたばかりである。 現実的な意見だ。 「だってぇ。山登りとかするんだよ?キツイし、面倒。皆と一緒にお風呂に入ったりさぁ。嫌だなぁ」 「あら、楽しそうじゃない」 「だったら、お母さんが行けば良いのに」 ちっとも取り合ってくれない母親を、千尋は恨めしげに見た。 母親は、テレビの電源を入れに立って、千尋を見もせずに答える。 「あなたがいない間、お父さんと二人でゆっくりするわ」 両親の仲が良いことは、千尋も自慢に思っているけれど、こういうことを言われると、自分だけが邪魔者扱いされている気分になる。 再び、千尋の口からため息がもれた。 それを聞いて、母親が、ゆっくりと千尋の方を向く。 「ほら、またお箸が止まってるわ。早く支度しなさい。せっかく早起きしたのに、遅刻なんて嫌よ」 不承不承、千尋は箸を動かし始めた。 「忘れ物しないでね。保険証のコピーは持ったの?」 テレビを見ながら、母親は言う。 千尋は、机の上に置きっぱなしにしてある保険証のコピーを思い出しながら、曖昧に答えた。 朝食を食べ終わったら、すぐに入れなきゃ、と思う。 忘れ物といえば。 紫色の髪留め。 千尋は小学生の頃から毎日、その髪留めを使ってトレードマークのポニーテールを作っている。 あれを、忘れないようにしなきゃ。 あの髪留めだけが、今では千尋とトンネルの向こうの不思議な町をつなぐものだった。 目的地へ向かうバスの中で、千尋は肘をついてぼんやりと窓の外を見ていた。 考えているのは、今朝の夢のこと。 あの時のことを、千尋は何もかも鮮明に覚えているわけではない。 油屋の金と赤。海。川に映るオレンジ色の光。 怖かったことや、ホッとしたこと、嬉しかったことを、なんとなく覚えているくらいである。 それから。 ハクのことを、大切だと思ったこと。 しかし、今となっては、その感情も記憶としてしか残っていない。 それでも、まだ、切り捨てられないから。 また会えるときを願って、皆で作ってくれた、か細い一本の糸を握り締めている。 あれから、千尋は川へ行ったことがない。 川へ行けば、ハクに会えるかもしれない、と思う。 けれど、ハクがいたコハク川とは違う川なのだから。 あの川はもうないのだから、無理なことはわかっている。 わかっているのに、ついそんな期待をしてしまうから。 裏切られたくなくて、ずっと川へは行っていないのだ。 そして今日、これから行く先で、カヌーに乗るために、初めて川へ行く。 期待を不安とが入りまじったまま、千尋は移りゆく景色を眺めた。 |
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