2月13日。
女の子達の決戦前夜。
世のお父さん達は、家中に充満するチョコレートの匂いに複雑な表情を浮かべていた。
娘が作るチョコレートを貰うのは、どんな男なのか……。
荻野家では?
夕食後、荻野家の大黒柱は新聞を読みながら鼻をヒクつかせた。
胸が苦しくなるほど空気を吸い込んでも、先ほど食べたおでんと、自分が飲んだ酒のニオイがするだけだ。
彼は、隣に座っている妻に訊ねた。
「千尋は?」
「自分の部屋でしょ」
「そうか……」
自分を見もせずに答える妻の態度に、少々寂しいものを感じる。
明日はバレンタインデーだ。自分だって、義理チョコではなく妻からの愛情たっぷりチョコレートを貰いたいと思う。
今年は、期待できないかなぁ〜。
一緒にテレビを見る振りをして、チロッと横目で妻を見る。
何気なく距離を詰める。
顔は正面に向けたまま、そ〜〜っと妻の肩に手を回そうと……した瞬間、妻がいきなり自分の方を向いた。
まるで悪いことをしていたような気分になり、慌てて手を引っ込める。
「なに?」
ドキドキしながら訊く。
「あなたは、どこのチョコが良い? ゴディバ? ホテルオークラ? ラ・トゥールダルジャン? ノイハウスが良いかしら?」
妻は、満面の笑みを浮かべて言った。
手作りなんて言葉は、彼女の辞書にはないらしい。
こんな妻の子供だ。娘も手作りチョコレートなんて作らないのかもしれない。
両親が寝静まった後、千尋は極力足音を抑えて階下へ降りた。
時々、板がギィ〜と音を立て、千尋はドキリとする。
現在時刻は午前1時。
何故こんな時間に起きているのかといえば、他でもない。ハクへプレゼントするチョコレートを作る為、だ。
随分上達したことに気を良くしていたら、いつのまにかバレンタイン直前! しかもまだ出来上がっていない!! という状況に陥っていたのだ。
菜子の言うこと、ちゃんときいてれば良かったな〜〜。
反省はしても、それが生かされることがない。
マフラーに手間取ってしまったので、チョコレートは練習なしのぶっつけ本番。
もともと不器用な千尋に、手の込んだものは無理! と判断した菜子は、『ミルク風味のトリュフチョコレート』の簡単なレシピを用意、見本を作ってくれた。
菜子が作った見本は良く出来ていて、口の中でとろけて本当に美味しかったのだけれど……。自分で作るとなると、不安になる。
失敗する確立は、限りなく高い。
ちょっと無謀過ぎたかも……。
レシピをキッチンの作業台に置いて、千尋はお気に入りのエプロンを身につけた。
これだけで、ちょっと料理上手になったような気分になるのだから、単純なものだ。
「さてっ。頑張るぞ〜!」
まずは大量に買い込んできたチョコレートを刻む。刻む。刻む――。
簡単な作業のはずなのだが、包丁を持つことすら普段はしない千尋の手元は危うい。
分厚くなったり、手、ギリギリのところを薄く切ったり。
何度もヒヤッとしたものの、なんとか怪我をせずに刻み終えた。
次は
「『生クリームを鍋で熱して……煮立ったところで、火を止めチョコレートを入れる』っと」
千尋は、つぶやきながら勢いよくチョコレートを鍋にぶち込んだ。
熱くなった生クリームが跳ねて、千尋の顔にかかった。
「あっつぅ〜〜」
叫びたい心をなんとか抑えて、千尋は小声で言った。
大きな声を出して、両親が起きてきては困るからだ。
めげずに、根気強くチョコレートを溶かし、クリーム状になるまで混ぜつづける。
別容器に移し替え冷蔵庫に入れたところで、ようやく千尋は一心地ついた。
「はぁぁぁぁ〜〜。なんとか、ここまでは上手く出来た……」
問題は味だなぁ〜。と思いながら、チョコレートが冷えるのを待つ。
ボールにココアパウダーと砂糖を入れ、トリュフを転がして粉をつけて――。
「完成ー!!」
むせ返るようなチョコレートの香りに包まれて、千尋は両手を挙げ万歳した。
ココアパウダーが宙を舞って、顔や髪につく。
すでにチョコレートまみれの千尋は、一切気にしなかった。
ここで気を抜かず、最後の仕上げ。ラッピングに突入する。
失敗を見越して沢山作ったトリュフチョコレートの中から、選りすぐりを10個箱に詰める。
ラッピングは、不器用でも見栄えのする和紙を使った簡単なものだ。
時計を見るとすでに5時。
片付けを済ませた頃には6時近かった。
「調理時間2時間って書いてなかったっけ?」
時間はかかったものの、上手に出来たトリュフチョコレートを見ると、満足感から笑みがこぼれる。
「よっしっ!頑張るぞ〜!!」
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