昨日はほとんど寝ていない。
千尋は、寝不足から来る頭痛に、顔をしかめながら牛乳を飲んだ。
「ごちそうさまっ!」
勢いよく立ち上がり、そのまま2階の自分の部屋へと駆け込んだかと思うと、あっという間に着替えを済ませ荷物を片手に駆け下りる。
「はい。これ、お父さんに」
千尋は大き目の箱を差し出した。
中身は、昨晩苦労して作ったハクへのプレゼント――の余りものである。
形は歪だが、味は同じはずだ。
作りすぎたトリュフチョコレートを処分する為にも、甘い香りを誤魔化す為にも、父親の機嫌を取る為にも、ついでに日頃の感謝を込めて貢物。
娘の真意を知らない父親は、嬉しさを体中で表現して、受け取ると早速口に運ぶ。
朝から、甘いもの食べて! と言う妻の声は聞こえぬ振りだ。
「んまいっ! 千尋、いつの間にこんなに上手になったんだ?」
「ホント? ホントに美味しい??」
「美味しいよ。それにしても何時作ったんだ?」
「え〜〜っと、夜……」
「今朝まで、内緒にしておきたかったのよね?」
叱られるかと身構えた千尋に、母親が助け舟を出す。
千尋は、内心感謝しつつ曖昧な笑顔で頭をかいた。
幸い、父親は千尋の笑顔を都合よく勘違いして、また一つ摘んだ。
「ふあ〜〜〜〜〜ぁ」
「でっかい口」
千尋が最大限に口を大きく開けて欠伸するのを見ていた菜子が、ポツリと言った。
千尋は、今日何度目かわからない欠伸をしていたが、慌てて手で口元を隠す。
「眠いんだもん……」
言いながら、また欠伸。
今日は一日中この調子で、授業中も休み時間も、眠いことこの上ない。
日頃から、勉強に関しては集中力のない千尋だけれど、今日の授業はまったく覚えていなかった。
夕方からハクと会う予定なのに、この調子では、せっかくのマフラーもチョコも色あせてしまいそだうだ。
「何時に寝たの?」
「や、ほとんど寝てない――」
返事をしている間にも、目が虚ろになっていく。
かくんっ、と肘が机から落ちて、千尋は驚いて目をパッチリ開けた。
「……起きてる?」
「なんとか、起きてるような気がするんだけど」
千尋はハクの顔を思い浮かべる。
鞄の中のマフラーとチョコレートを想像上のハクに着け、持たせて……。
「あ〜〜〜!! どうしよう〜〜!!」
考えれば考えるほど、心配になってくる。
ちゃんと似合うかどうか、ちゃんと喜んでくれるかどうか。
不安になるのなら、考えるのを止めれば良いのだが、それは出来ないのだ、と千尋は断言することが出来る。他のことなど今は考える余裕はない。このことで頭がいっぱいだ。
頭を抱えて、足をジタバタ動かす。
煩く思った菜子が、千尋の足を蹴った。
「ったぁ〜〜! もうっ! 何するの!?」
「煩いから。ちょっとは気が紛れたでしょ?」
「……だからって、暴力には反対」
恨みを込めて睨んでみたけれど、菜子には通じず
「ま、頑張んなさい」
の一言で済まされた。
学校が終わると、千尋は一目散に駆け出した。
菜子にバイバイとも言わずに、だ。
いつもの待ち合わせ場所はトンネルの前。
全力疾走して到着した頃には、ハクはすでに待っていた。
「ゴメンねっ! 待った!?」
千尋の問いに、ハクは頭を振って答える。
実は、ハクにはどんな用件で呼び出したのか、伝えていない。
湯屋には、バレンタインの風習はなかったし、ハクも知らないだろう。
知らないということは、千尋の口から説明しなければならないということで……。
気恥ずかしい。
千尋は息を整えると、ハクを見つめた。
自分の頬が赤くなっているのが解る。
ハクに見とれているからか、気持ちを伝えることに対して照れているのか、千尋には判断がつかなかった。
「あの……ね」
千尋の声に、ハクは柔らかな微笑を浮かべて彼女を覗き込む。
千尋は益々顔が熱くなるのを感じた。
「今日は、2月14日だねっ!」
「そうだった?」
ハクが、トンネルのこちら側の世界の日付など気にとめているわけがない……。
「あっ、そう。そうなんだけどね。あのね、2月14日はバレンタインデーなのっ!」
最早、自分でも何を言っているのか解らない。
こんなことを言いたいのではないのにっ!
もっと伝えたいことがあるのにっ!
言葉は思うように出てこない。
「バレンタインデーって言うのはねっ!」
千尋は拳を振り上げた。
手にも、声にも力がこもる。
「バレンタインは、好きな人にチョコレートをあげる日なのっ!!」
ちょっと間違っているかもしれないが、千尋は一気に言った。
それまで、千尋の言わんとすることを掴めずに、不思議そうな顔をしていたハクの頬が、徐々に赤くなる。
「それって……」
ハクの言葉を遮って、千尋は鞄から二つのプレゼントを取り出した。
そのまま、腕を真っ直ぐに伸ばして、ハクに突き出す。
「私に?」
千尋は真っ赤な顔をブンッと縦に振った。
ハクが、そっと手を伸ばして受け取る。
「ありがとう。開けても良い?」
「うん……あのね、あの……私あんまり器用じゃないから上手じゃないかもしれないけど……でも、あの……」
ハクは包みを開けながら、千尋の言葉に耳を傾ける。
千尋は空いた手をモジモジさせながら続ける。
「きっ、気持ちはっ!! 気持ちは込めたからっ!!」
ハクが、マフラーを取り出した。
「これは……千尋が作ったの?」
「うん……」
「ありがとう」
千尋は、ハクの言葉にようやく微笑んだ。
マフラーをどうやって身につけたら良いのか、それ以前に使い方も解っていないハクの代わりに、ハクの首にマフラーを巻く。
二人の距離が近づいて、目が合った時、二人とも照れて笑った。
「これも開けて良い?」
「うん」
ハクがチョコレートの包みを開ける。
一つ摘んで、ゆっくり口へと運ぶ。
千尋は、緊張した面持ちでそれを見守った。
やがて、ハクは
「美味しいよ」
と極上の笑み。
甘い甘い冬の口どけ。
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